beat sb hollow

ただひたすらに戯言を

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東京、クソお世話になり申した

おっす。

ちょうど一年前にこの道を通った夜、昨日の事のように今はっきりと思い出してみたりしているヒラオカです。


ツイッターなんかではもう言ってますが、私、不承ヒラオカ、このたび故郷新潟に帰る事にしました。

何で?てよく聞かれますが、うーんなんだろ。

理由は1つではないんですよね。

しかも、これっていう理由があるのかどうかも定かではない。

今考えて決めた感じでもなく、オレにしてみればずーっと東京で暮らしてきて今日、自然に導き出された道筋なのかもしれない。

そもそも新潟から東京に出てきた時も思いつきで即行動。

高卒で地元で就職して3年くらいで、オレ東京に住んでみたいと思いつき、次の日に辞表出して退社、即準備して手荷物まとめて何の繋がりも後ろ盾もない東京に単身飛び出してきた人間であるからして、帰るときもまた深い意味はないのかもしれない。

オレ、まわりのバンドマンによくある「ワシ、音楽で東京に出てビッグになりますたい」っていう上京の仕方ではなかったのよね。

高校時代よりバンドはやっていたけども、それでメシを喰うなんて考えてもいなかった。

当時、高校時代からずっと付き合っていた彼女とも別れ、仕事でトラック洗いながらボーッとこれからの自分の人生を考えていて、何もわからない若造なりに「このまま先の見える安定の中で生きていくのがオレの人生なのか」と自問自答してたんよね。


そんな時に東京に遊びに来て、都心の電車の窓からネオンを見ていたときに、唐突に「東京に住んでみてぇ」って思ったんだよね。

20歳そこらの若者に、東京の夜はあまりにも華やかで危うくて魅力的だった。

そんな所に住んだら、どうなるんだろうって思ったら居ても立ってもいられなくなった。

んで、きた。


バイトを転々としながら、何とか食いつないだ。
何せ、なんも考えずに来たから。

光熱費がどれだけかかるのかも食費がどんくらいかかるのかもわかってないような世間知らずがいきなり東京に1人で来て生きていくっつったって、何もかもうまくいかない。

金は足りない。

バイトはクビになる。

友達はいない。

時給がいいという理由だけで、拠点は渋谷だった。

おっかねかった。

それでもウマがあうバイト先がみつかり、友達もいっぱいできた。

そうなるともう楽しくてしょうがなかった。

毎日寝る時間もなくバカみたいにあそんだ。

当時の渋谷は今みたいに安全ではなくて、危険がいっぱい。
ギリギリな目にいっぱいあった。

新宿でもだまされたりボッタくられたりやーさんに遊ばれたり。

いきなり狩りが始まったり。

血まみれの宴が始まったり。

生まれて初めて、心底恐怖しながら土下座した。

それでも、その危うさとスリルがまた楽しかった。

借金も増えた。

債権者に、追われた。

そんな中で、1度は離れていたバンドをまた始めたり。

解散したり。

渋谷でのバイト時代、東京に来て初めて彼女を作った。

一緒に暮らした。

クソ野郎だったオレと、献身的に一緒にいてくれた。

楽しかった。

甘えた。

オレは、甘ったれのただの若造だった。

25歳のとき、フラフラと遊んでバイトばっかりの毎日を反省して、仕事ってやつを少し考えた。

ずっと上京してから料理のバイトをしてきて、調理師免許までとったけど、それはなりゆきでやっていただけで、オレのやりたいことではなかった。

それでグラフィックデザイナー的な仕事にあこがれた。
ホームページなんてものもない当時はまだそんな単語はなかったけども。
まぁ今思うと、デザイナーって言葉がかっこいいってくらいの、若くて青い単なる浅いあこがれだ。

いきなり25歳で素人だけどやりたいっつったって、とってくれる所なんてまぁ、ない。

元来の楽観的な性格が幸いして、「100個とか受ければ物好きな会社1つくらいはあんだろ」くらいに思って、建築現場のバイトをしながら、週3か4で面接を片っ端から受けた。

面接ばっか行っててあんま稼げないから、借金も増えた。

でもどーせうまく行けばそんなもんすぐ返せるわ、と楽観的だった。

半年ばかり過ぎた後、ひとつの会社に拾ってもらった。
そこから、今の仕事は始まった。

まだDTPやWEBなんていう言葉もなく創世記だったこの業界は、修行の日々だった。

毎日帰れなかった。

同棲していた彼女が大学を卒業する年、別れた。

オレなりに自分と彼女の将来を考えたつもりだった。
今思うと、しょせん若造のオレは、何もわかっちゃいなかった。わかった気になっていただけだった。
でも、青い若造なりに、必死に彼女と自分の事を考えて出した結論だった。

馬車馬のごとく働いた。
どんどん技術や知識がついていくのが楽しかった。

オレは昔から、新しい事をいちからやるのが好きだった。

気づいたらそこそこできるようにはなってて、出世した。
いつの間にか主任になってマネージャーになって、どんどん給料も跳ね上がり、部下もいっぱいいた。

余裕ができてきたので、バンドも割とガツガツやり出した。

本気でバンドやり出すと、あまりに今までぬるかった環境に気がついて、そのバンドに疑問を持ち始めた。
もっと、本気でやってみたかった。

解散した。

メンバーを探した。

運命的なタイミングでそこで出会ったのが、三瓶だった。

技術やなんやらじゃなくて、直感でフィーリングの合致を感じ取ったオレらは、Dog on Backseatを結成した。

ドラム初めて1年目のオレは、三瓶の曲が叩けなかった。

三瓶のギターは、今まで見てきた奴らよりも頭一つ抜けてた。

自分から一緒にやろうと言っておきながら、オレはビビッた。

こいつギターちょーうめーなんだこれ、いいのかオレで。
やべーだろ。

三瓶は笑っていた。

ギターとドラムでスタジオ入りながら、ベースを探す日々。

連絡とっては会い、会ってはがっかりしたり、バックレられたり。

そんで1年くらい経とうとしてた。

そんでも、2人でスタジオに入って、曲作ったり考えたり、終わったらファミレスでメシ喰いながら、バンドこーしたいねあーしたいね、物販とかこれつくろう、ツアーとかいこう、バンド自体活動してないのに、先々の話ばっかりして、そんな毎日が楽しくて不満なかった。

彼女よりも会ってた。

田島あいこ、つかまえた。

加入した。

そっからはもう、突貫で進んだ。
今までの停滞を吹き飛ばすかのごとく、24時間フルにバンドにさいたといっても過言じゃない時期。

就職したら支障がでるから、本格的に派遣社員1本に絞った。

初ライブは池袋だった。

終了後、打ち上げで全員ご満悦だった。

当然まだクソみてーなライブしかできてなかったんだけど、これから始まる予感、このバンドいけるぜという予感めいた感触に、酔った。

そっからクソみてーに練習してクソみてーにライブした。

30歳になろうとしている素人ドラマーに恥を感じていたオレは、クソほど練習して、クソほど研究した。
スティック握りすぎて、手首は負傷していたし、膝の間接は悲鳴をあげ、手は常に豆がやぶれていて血まみれだった。

自分でいうのもなんだけど、自分よりもうまかったドラマーたちを、1年程で結構な数、ごぼう抜きにして置き去ってきたと思う。

若いやつは余裕と言う名の油断があるから、抜くのは簡単だった。

思い上がりなのかもしれないが、何と言われても客観的にとらえてもそれだけの事はやったし、結果も出した自信があるから、言う。

オレはやった。

だって、あのはじめからギター超ウマだった三瓶を多少なり焦らすことができたんだから。
上出来だ。

田島には迷惑をかけた。

オレがろくに叩けない頃から、あいつは合わせてくれてた。

ただ、ほどなくしてあいつも置き去りにした。

今度はあいつが焦る番になった。

それは、オレの方が練習し、オレの方が研究し、オレの方がバンド理解が高かったからだ。

あいつはオレにはなかった、若い頃からの上積みに油断したからだ。
甘えたからだ。

オレは素人だったからそんなものはない、自信もなかった。

だから、磨いた、覚えた、それだけ。

それだけで、技術に甘えているやつらなんて簡単に抜けるから。

バンドもペースを上げていった。

人脈も増え続け、それなりにライブを評価される事も増え、動員も少しできてきた。

楽しかった。

練習や疲労や金はつらかったけど、最下層からどんどん上に上っていってる感触が楽しかった。

とにかくライブ力にこだわった。

ひたすらライブで鍛えて鍛えて磨き上げていった。

みんなで試行錯誤しながら作り上げていった。

レコーディングをこなしながら、ツアーや遠征に行き始めた。

初めて行く地方はどこも新鮮で、惨敗したら憤慨し、糧にし、成功したら乾杯した。

今思えば、悲惨な目にあってもちっとも怖くなかったな。

オレたちは、人にどう思われていようが、客がつかなかろうが、バンドに自信を持っていた。
それは現在の実力に対する自信ではなく、このバンドという存在に対しての自信だった。

ライブでは、どんなに荒れたライブをしようが、何故か絶対の無敵感を感じていた。

もちろん反省したり言い合いになったりもあった。
でも、基本的に俺たちはメンバーを信じていた。
かっこいいと思っていた。

そうやって、年間60本以上のライブをこなしながら、どんどん上に上っていった。
停滞していると感じた時期なんて、活動始めてから1度もなかった。
やればやるほど、なんらかの手応えと結果がもたらされた。

そうして3人で活動し始めてから3年、オレはバンドを辞めた。

その理由やいきさつについては、今ここでは書かない。

簡単に説明できることでもない。

オレはDog on Backseatが好きだった。

でも、辞める決意をした。

事実は、それだけだ。

最後に、行きたい地域に回った。

ある意味、脱退ツアーだ。
三瓶は、行きたいところで全部決めていいよって言ってくれた。

鳴りやまない電話、メールの対応をする度に、心が揺らいだ。

泣かれた励まされた叱られた。

感謝しかなかった。

でも、いつもそうなんだけど、オレは悩んで悩んで結論を出した事を、絶対に覆さない。

1人で結論をだし、行動する。

三瓶にはそれで激しく怒られた。

今までで一番、怒られた。

自分の問題で人に迷惑をかけたくないって今までは思って、全部自分で考えて結論出していたことが、信頼している人を傷つけると言うことを、30歳も越えて初めて知った。

オレは自分勝手だった。

最後に行く先々の地域で、お別れをした。
オレ個人ってよりかは、Dog on Backseatの平岡として。

泣いてくれたり、止めてくれたり、惜しんでくれたり。

いくつかは、オレが辞めると言ったら、どうしても最後にやりたいとわざわざイベントを組んで呼んでくれた。

オレはバンドを通して得た宝物を、心から認識した。

解散ではなく、たかが1バンドのドラムが辞めるだけなのだ。

でも、きっとあの頃のDog on Backseatは、オレと三瓶はコンビで認識されていたのだろう。

田島には悪いが、やはりあの当時みんな、「平岡と三瓶」と「田島アイコ」に会いに来てくれてたのだと思う。

それが「三瓶」と「田島」になってしまう寂しさを、きっと感じてくれていたのじゃなかろうか。

本当の最後となるライブ、オレは「今決まっているライブの最後をやったら終わりでいいよ」と言った。

そうなる予定だった。

ハコイベントで終わる予定だった。

あるとき三瓶が、「やっぱりそんなで送り出すのはいやだ。最後は、今までのみんなに祝福されながら惜しまれながら引退してほしい」って言い出した。

涙が出そうな言葉だった。

最後に自主企画で散ることとなった。

最後に一緒に演りたいバンド、全部決めていいと言われた。

オレなりに、考えて考えて決めた。

メンバーも、出演バンドも一発で快諾してくれた。

その他にも、出させてくれって言ってきてくれたバンド達もいた。
最後一緒に演れなくて、ごめん。

最後の日。

全曲やった。

2マンや3マンでもねーのに、68分もやってた。

あの日のステージからの眺めや顔は、忘れられない。

それで、終わった。

悔いはなかった。

本当に、やれること全部やってたから。
少しでも手を抜いてたら、きっと後悔もあったのかも。

オレは生まれて初めてあそこまで1つの事に自分の中の全てを使うって事を覚えた。

あまりにも生活の全部がバンドだったものだから、そこから生活を変えるのには苦労した。

とまどった。

楽器をいじりたくて、音楽にふれたくて、コピバンを組んだりした。

純粋にバンド形態でいることだけで、スタジオで音を合わせているだけで、楽しかった。

でも、おれはDog on Backseatを辞めたときに、もうあそこまで全てを燃焼できるバンドはやるまいと、思った。

っていうか、もう一度やれと言われても、あんなのは一生できない。

だから、それからのスタジオやバンド形態は、とにかく楽しんだ。

ただただひたすらに楽しんだ。

もう、それでよかった。

それから月日は流れ、、、。

Dog on Backseatはまだ続いている。

オレが抜けて数年、すでにもうオレが介入するべきものもない。

でも、形がどうあれ、メンバーが変わろうとも、オレと三瓶で未来を夢見てファミレスで語り合っていたあの頃が礎であり、当時のオレ達の血と汗と苦悩が土台を築き、脈々とバンドの中に生きていくとオレは思っているから、寂しくはない。

刹那的で切れそうな壊れそうな、脆く危うく、生き急いだバンド、Dog on Backseat。

これからどう変わっていこうとも、それが元祖である。

どんどん平岡という存在が薄くなっていっても、知らない世代が増えていっても、バンドの血肉の中には間違いなくあり、きっとなくならないから、それでいいや。

このバンド名に命の息吹を吹き込んだ1人として、これからを見守っているよ。


DonBの前のバンドの頃(ドラム始めて1週間くらいの頃w)
はーじ


DonB時代
どべ



いやしかし、全部書いていてもしょーがねーけど、15年もいたらいろいろあったなー。

いろんな人間と出会って、別れて、また出会って。

いろんな出来事が通り過ぎていった。

どんなに重い事でも、衝撃的な事件でも、過ぎてしまえば過去の事だな。

オレの紡いだ人生のうちの15年間は、東京にあった。

まぁ、あんま長くなってもあれだから、そろっと切るかな。

クソおもしれーエピソードや事件は山ほどあるけど、きりがない。

今後時間会ったら、ちょいちょい振り返って書くよ。
東京でのおもしろエピソードは。


21歳から思いつきで東京に出てきて、15年。

何も知らない青い若造は、36歳のおっさんになったよ。

でも、なにも知らないクソみてーな若者だった21歳よりも、ずいぶんといい男になったと思うぜ(笑)
人間、命の修羅場をくぐった数だけ、やっぱ成長するもんだ。

温室育ちの同世代とは、経験という事では雲泥の差がある自信はある。

すれ違った人、出会った人、触れあった人たちが、馬鹿な若者を成長させてくれたんだな。


迷惑をかけました。
すいません。


お世話になりました。
ありがとう。


あなたたちがいなかったら、オレはここまで生きてこれたかもわからないし、今の自分は絶対にない。


本当、お世話になりました。


ありがとう。


楽しかった。


あっという間にも思える15年間、いろいろあった、楽しかった。


本当に、楽しかったよ。


寂しいってのは少しあるかもしれないけど、悔いは全くない。


もう、やり尽くしたよ。

東京でやりたかったことはやり尽くした。

東京という場所を、この15年で酸いも甘いも味わい尽くした。

いいことも悪いこともひっくるめて、堪能した。

あこがれたあの華やかな東京は、もう今では単なる生活する場になったよ。

当時のあこがれは、今では全て普通となった。


東京の人間は冷たいとか自分勝手ってよく言われる。

なるほどそうなのかもしれない。

でも。


なかなか悪くないんだよ。


オレは、無機質で危なくて、煌びやかで楽しい東京が、好きだったよ。

東京の生活は、ファンタジーに満ちあふれていた。

ありがとう。


また思いつきで帰ってごめん。

いっつもいきなりでごめん。

こればっかしゃー治らないわ。


でも新潟なんざーすぐだよ。

近いしすぐこれる。

しょっちゅー来るよ。

飲みにでも誘ってもらえば来るよ。

そんくらいの距離だ。


これからの予定。

明日10日、東京荷物搬出
11日、新潟荷物搬入
13日、東京にリターン
14日、東京での部屋明け渡し立ち会い

っつー感じで、13日に一回戻ってきて、14日に完全に部屋明け渡して終わりっす。


バタバタバタ子さんするけども。


13夜か14に飲みにでも誘ってもらえば行けるかも。

空いてるわーって人いたら、気軽に誘って下サイ。


まぁ普通に住処があるのは今日がラストって事です。

13とか、もう部屋入れても家具ないからねw


んじゃーまー。


まだまだ引っ越し準備でわったわたしてますけども。


最後ちょっと振り返ろうと思ったら、バンドメインな感じになっちゃったよ。


東京ライフおもしろヒストリーは、落ち着いたらまたいろいろ書くわ。


法律の範囲内で。



のじゃあの。


さらば慣れ親しんだ東京シティー。


ぜんたい


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  1. 2012/04/09(月) 12:58:22|
  2. 日記
  3. | トラックバック:0
  4. | コメント:5
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コメント

お疲れ様でした~☆

出会った頃のオニーの写真ですなぁ。
入社してくるの、男性と女性て聞いたのになんか女が2人いるよ?
とか思った日も相当昔のことになったったのですなぁ。

またそのうち会える機会があれば~!
  1. 2012/04/09(月) 14:14:09 |
  2. URL |
  3. KAY。 #0m2AWIoQ
  4. [ 編集 ]

出会った頃のよ~おにぃ~

あの頃はまだ20代でござんしたなw
あの職場の思い出も多い…楽しい時代でありました。
そんな赤髪の女子もママになり、季節は巡る。
また!!
  1. 2012/04/09(月) 17:35:06 |
  2. URL |
  3. 綛 #-
  4. [ 編集 ]

またいつか・・・

やっぱりそう決めちゃったんですね。

私も田舎から東京出てきたやつですけど、東京人生のほうがながくなっちゃいました・・・。

色々あって伝えられる言葉は、どこにいても、元気でいましょ!! いつかまた!! 会えますように!!

今まで、楽しい時間を、私とかかわってくださり本当にありがとうございました。
  1. 2012/04/16(月) 15:05:21 |
  2. URL |
  3. 一恵 #-
  4. [ 編集 ]

どうもです。
まぁ住む場所が変わってもあいかわらずな感じで生きていきますよ!また会いましょう!
  1. 2012/04/16(月) 16:52:50 |
  2. URL |
  3. 平 #-
  4. [ 編集 ]

管理人のみ閲覧できます

このコメントは管理人のみ閲覧できます
  1. 2013/02/14(木) 02:12:30 |
  2. |
  3. #
  4. [ 編集 ]

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