beat sb hollow

ただひたすらに戯言を

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身を捨ててこそ浮かぶ瀬もあれ

オッス。
オラ孫正義。

さっきコーヒーを入れて飲んだら、斬新な味がしてね。

塩味がきいたような…甘みが抑えられたような…それでいてほのかに煮干しみたいな風味。
いやぁネスカフェも斬新な味にチャレンジしたものだと感心しつつ飲み干しました。

そんで、ぶち込んだスティックシュガーの紙を捨てようとしたら
スティックほんだしって書いてありました。

ちなみにこれやるの、二回目ですけども。

どうも。

オリンピックでメダルを獲った人じゃない方の平岡です。


なんかブログ書くスパンが短けーけどそれはね。

仕事の息抜きにちょうどいいからなんですわ。
煮詰まってる時って、ひたすら文章を書いていると落ち着くんだよね。

今回はほんとは違うこと書こうと思ってたんだけど、なんとなく書くこと変えた。

ま~別におもしろい内容書かないから、つまらねーと思うけど、なんか書きたいから書くわ。
いつもの通り、ただの自己満でね。

ただクッソなげーから、あんま読むことを推奨しない(笑)

ちょっと最近、っていっても前からそうなんだろうけど、周囲で大変な人とか、悩んで煮詰まってる人が多い。

それは、はっきりとした具体的な悩みから、何が原因で何をしたいの本人もよくわかっていないような漠然としたものまで、様々。

まあ、ぶっちゃけきっと悩みや迷いを抱えていない人間なんてほとんどいないんだろうけどね。
表に出すか出さないかくらいで。

大半の人は、きっとおおっぴらに言いはしないけれど、信用している気のおける友人にだけ漏らしているとかって感じなんだろうと思う。

そんではっきりとしたものならともかく、漠然としたものやモヤ~っとウツ~っとした、言葉にならない何かってのは、いっくら人に説明しようが相談しようが、大体は結局わからないまま、解決なんてしない。

時が経って自然になくなってくるものもあれば、いつまでもずーっと残っているのものもあるだろう。

オレも相談受けたり話し聞いたりはするけど、口頭で話してると俺自身なかなか上手く言葉が出てこなかったりしてさ。
もっとコレっていうジャストな言葉を掛けて挙げれればいいんだけどって思う。

そして、自分自身、未だ形にならない何かモヤモヤしたものを抱えたまま、日々暮らしている。

春になれば誕生日が来る。
地元に帰って2回目の誕生日。

その前に、オレもなんか自分自身少し整理してみようかなって。
だからあくまでもただオレ自身のこと書くだけだけどね。

長岡へ帰ってからの自分を振り返ってみる。



東京から地元に帰ろうかなーってパターンの人も多いし、または帰ってから鬱々としてる人もいるよね。
全くオレと同じパターンだから、気持ちはそれなりにわかるなあ。

勇気いるよね。
慣れ親しんで今や地盤のメインである東京から離れるのって。

まず、帰る前段階では、いっくら考えて考えても、オレは答えは出せなかった。

帰ることのメリット・デメリット、東京に残ることのメリット・デメリット、考え尽くすほど考え、いろんなパターンを想定した。

それでいっくら整理したところで、結局は形にならない感情ってやつが残るから、よしこれでいいって判断なんてできなかった。

ほんとにそれでいいのか後悔しないか、いっくら考えても、わからなかった。

その気持を悶々と抱えたままずっと過ごしていくのもやだったから、オレは帰ろうと決断した。
帰ってから見えてくるものがあるだろうと。

そんで、実際帰ってから見えたものがほとんどかな。
事前に想定してたことなんて、ただの物理的な上辺の事しか見えてなかったなあと思う。

それに伴う気持ちの変化まで予測なんてできないものねやっぱ。

今、地元にリターンして、1年と9ヶ月くらいか。

正直、東京にずっと居たほうが良かったか、地元に帰った方が良かったのか、未だはっきりとどっちとは言えない。

2年近くしてまだそんな感じなんです。
あえて今の結論を出すなら、良い所も悪い所もあったてのが結論かなぁ。

それでも1年以上も過ごすと、いろんな事、いろんな心境の変化が目まぐるしく変化していった。

なにせいきなり決めて早急にスタートしたもんだから、帰る前と帰った後の期間は忙しく動きまわっていて、状況が落ち着くまではゆっくりと考える時間もなかったなぁ。

東京の国分寺の部屋を引き払うときは、ただ引っ越すってこと以上に言いようのない寂しさがあった。

この部屋ってよりかは、東京都との別れを感じた。

いつでも別に東京なんて来れるんだけど、東京に住んでいてどこかに行くのと、よそから来るのとでは、全然違うんだよね。感覚が。
もう、都民であることが当たり前でありすぎて、そこから離れる間際に感じた寂しさは、きっと忘れない。

帰るまでの残された日数は、とにかく可能な限り人と会った。
何十人と予定を調節するのはとんでもない労力だったけど、可能な限り、会いたい人に会いたかった。
みんな、最後は笑顔で別れてくれた。
ほんと当たり前みたいになってたけど、オレはいい友だちに囲まれていたんだなと思った。

次の日に部屋を明け渡す夜、もう業者が家具を全部持って行って何にもない部屋の中で、寒さで上着を被りながら床で寝て、今までの事、この部屋の思い出を頭によぎらせながら、恥ずかしながら少し涙がこぼれ落ちた。

この部屋でみんなで鍋をやったり、ギャーギャー騒いだり、何度もした。

1人の時、寝転びながら延々と悩み葛藤したりした。

東日本大震災の時は、テレビを見ながらこれからの不安と余震に怯えた。
計画停電の日はローソクつけてカップラーメンをすすった。
そんな中DonBの連中と福島へ支援に行った時は、家にあった食材全部ぶん投げて来ちまったから、帰ってから何もなくてスーパーにも物流が何も入ってこなくて、途方にくれたなぁ(笑)

近所のOKストアが好きだった。
すぐ裏の国分寺図書館を愛用した。
国分寺は、その前に住んでた武蔵境と同じくらい好きだったしここでの生活になんの不満も、オレはなかった。

今までだって、引っ越しはいっぱいしたし、そのたびに多少感傷的にはなってきたよ。

でも、今回はきっと東京自体からの離別って事で、比較にならない寂しさがあったんだろうと思う。

まぁ、それでも引っ越しも完了し、長岡市のアパートも落ち着いてくると、少し心に余裕もできた。
初めのうちは仕事もしてねーし親の手伝いくらいで、ふんだんに時間はあったから、懐かしい色んな所をまわった。

通ってた学校、よく行った海、山、幼なじみや友達がいた地域。

学生時代の甘酸っぱい青い記憶でいっぱいになったり、優しい気持ちになったり、やっぱりオレはここで生まれ育ったんだなぁと、強く思った。

いつまでもそんなブラブラもしてられないから、親の工場を手伝いながら仕事を探す日々を始めた。

この頃からかな。

言いようのない孤独感と焦燥感に襲われてきたのは。

原因はいろいろある気もするし、よくわからない気もする。

まず、もうずっと東京に居た人間だから、友達なんてものはかつての同級生しかほぼ居ない。

帰ってからは、何度も飲みに行ったりした。
中学の同級生や高校の同級生。

もちろん、それはそれで楽しいかったけれど、わかってはいたけれど、触れ合えば触れ合うほどに決定的に気づくんだよね。

なんつーか、色んな違いを。

それはきっと、地元でずっと16年間過ごしてきた人間と、東京で16年過ごしてきた人間の違い。

オレ達は、20代という多感な時期を、違う場所で生きて、違うものを吸収してきたんだなーって。

どっちが良いとか悪いとかないからね別に。

その頃から、楽しさと共に何かよくわからない窮屈さも覚えてきて、よくわからなかったなあホント。


ある時、オレすげー作り笑いしながら話し合わせてるのに気づいちゃってさ。
そんなに気を使うような仲間じゃなかったハズなのにな。
あんなに一緒にバカやってきたヤツらなのにな。

でも、なんかオレの本音や気持ちなんか言っても、なんとなく理解なんかされない気がしたんだ。
そしてヤツらにも、もう大事な家族や子供がいる。
自分のはっきりとした地盤と生き方が築かれてるヤツに、いまさら自分の価値観の共有を求めるなんて気もしなかった。

だから、思い出話に華を咲かせ、場を盛り上げた。

ホントはね、過去の話しだけじゃなくて、オレはこれからの未来へ続く話しもしたかったんだけど、それはできなかった。
なんつーか、もうきっとヤツらにはそんな話は必要ない気がした。

そんなこんなで、オレは悶々としたこれからの展望や将来への渇望を1人の胸に閉じ込め、1人で自問自答しながら考えていった。

ただ、年老いた親に心配をかける事はしたくなかった。
親孝行をしようと帰ったのに心配かけたら意味がわからない。
だからオレはいつも軽いノリの楽観的な事しか言わなかった。

「大丈夫、大丈夫。そのうち見つかるし、オレなら全然できるよ」
と、いつも強がった。

ホントは、予想してたよりも仕事もすくねーし、職種的にもDTPやWebなんてワードすら長岡にはほぼなく、オレはこれからどうするかなと、ずっと1人で調べ、考え、疲れ果ててきていた。

こんなんならやっぱ東京で稼いでいた方が良かったんじゃねーかと思った。
東京で職探しをすればすぐ見つかる自信はあったし、この職種ならすぐに重職につくだろうキャリアもあった。

それを親の為とはいえ、すげー無謀な困難な道を選択したんではないかと。

よっぽど東京の方が余計な心配もかけず、親孝行できたんではないかと。

そういった不安や焦燥はただ1人胸に仕舞いこんで、親には大見得をきり、友達とは笑顔で飲みに行った。

親の工場で仕事をしながら職探しはしていたので、まー無職ってことじゃなかったし、給料的なものももらってたから、それなりには毎日は成り立った。


オレはもともと人間不信とまでは行かないけど、東京での一時期、すげえ人嫌いだった。
色んな事があって、人を信用しなかった。

どんなに仲良くても、ほんとに根底からは人を信用しない人間だった。
だから限られた一部の人間以外は、表向き一緒に遊んでても、笑顔で接してても、心の壁は一切崩していなかった。

そんな自分を変えてくれたのが、バンドや仕事で出会った仲間たちだった。

そこで数多くの人と出逢い、ぶつかり、触れ合い、暖かさを感じることで、オレは変わったように思う。
いつの間にか、オレは人が大好きになり、人を信頼し、人に囲まれて過ごしていた。



長岡生活が春から初夏に差し掛かろうとした時、オレは、いつの間にかまた出来てる自分の壁に気づいた。

あれほど仲間に囲まれて笑顔で過ごしていたオレは、気づけばまた誰も信頼しなくなっていた。
誰にも本音を言わず、言っても無駄だと考えるようになっていた。

親もいるし、友達とあったりもしてるのに、すげぇ孤独だった。
こんな事言ったら会ってたヤツらに失礼だと思うけれど、別に何もヤツらは悪くないし、いい奴らだ。
会ってれば楽しいし、何も悪いことなんかない。

でも、理屈じゃなく、なんだろなー。
オレはここでは独りなんだなって思った。
そしてそんな気持ちを言える相手もいなかった。


もうそれはしょうがないと思ったけれど、仕事的にもいろいろ考えて何とか状況を打破しようと、いろいろ考えて探して、とりあえず仕事もなかなかみつかんねーならと選択肢に入れたのが、職業訓練校だった。

それほど期待してはいなかったけど、金も貰えるしこれからの新たな道筋に少しの光でも指すかなと、申し込んだ。


結果的にそれが長岡に帰ってきて一番の大きな分岐点になった。


そこでは、思いもよらず良い仲間に恵まれ、友達もでき、久しぶりにオレは楽しくてしょうがない毎日を過ごした。
少し前までは想像もしてなかった未来がそこにあった。

いつの間にか、オレの心の壁はなくなってた。

愚痴も言った。

不安も言った。

言えるようになってたな。


毎日笑顔でバカ笑いし、帰りに買い物に言ったり飯食ったり、ほんと普通の学生の放課後みたいに過ごしてた。

そこは楽しくて暖かくて、そのうちオレは自然に東京時代に近いあの自分に戻ってた。

根拠の無い自信に満ち溢れてて、やりゃー何でもできると思ってて、自分がどうであれ人の面倒を見れる、自分がどうであれ周りを笑わす事のできる、東京時代の楽観的な自分に。

いつまでもこの陽だまりは続かない事もわかってた。
有限のものだって事。

それでも、東京を離れてからすっかり変わってしまった自分が、あの頃の自分を取り戻せつつあるのは大きかった。


そんな最中、三瓶からDog on Backseatが解散する旨を伝えられた。
いつかは来るだろうとは思っていたけれど、いざ言われるとオレには「そうか」しか言えなかった。

最後のLIVE、出てくれないかと言われた。

正直学校と掛け持ちはきついってか無理じゃねと思っているのに、即答で「やる」と返していた。

どうせなら最後仕様のフライヤーみんなにあげようぜとか、これまた自分の首を締めるようなことを自分で言い出し、あーでもないこーでもないと三瓶とやりとりをしながら、その数年ぶりの感覚がとても嬉しかった。

学校の帰りにスタジオで個人練習をする毎日。
バンド練習は東京へ赴いて朝までぶっ続けでやりまくる。
家では学校での課題とフライヤーやTシャツの作成。

地獄のようだった(笑)

最後の日はDog on Backseatを好きな人が最後の姿を看取ろうと、楽しみに、そして寂しく複雑な気持ちで目に焼き付けてくれる。
平岡時代からの古い付き合いで復帰したオリジナルメンバーでのステージを楽しみにしてくる人。
平岡しらねーけどバンドが大好きで最後を刻もうとしてくる人。

ブランクがあるとか、そういうのって全くもって来てくれる人には関係なくて、オレはそれに報いる最高のLIVEをしなきゃいけない。
ただただそれだけで、地獄のようなスケジュールも当たり前のようにこなせた。

あの頃、バンドも学校も終わりに近づいた2月。

オレは鬼と化していた。

あの感覚は、バンド全盛期のそれと全く同じ感覚だった。
当時は当たり前だったあの感覚。

死にそうになりながらも、オレはまさか再びあの感覚を味わうと思っていなかったから、嬉しかった。

バンドの事書くとそれだけで長くなっちゃうから割愛しようか。

それで、とにかく最後のLIVEは終わった。

自分が抜けてからも、Dog on Backseatはオレの支えだったし、あのバンドが存在していてくれたから、辞めた後もオレはなんだかんだでずっとバンドの世界に留まり、その空気の中に入れた。

それが本当に無くなってしまう。
ほんとにこれでバンドの世界から外の人間になってしまう。
どうなるのかは、想像できなかった。

それほど、やっぱりバンドってオレの人生の中では大きなものだったんだな。

そして学校も終わった。

来るとは思っていたけれど、最後の時は来るもので、もうあの毎日はそこで終焉を迎えた。

朝、オレはいつも遅刻ギリギリに駆け込んで、みんなと「おはよう」と当たり前のように顔を合わす。

授業はキャッキャキャッキャ騒ぎながら実習して、もーやだやだいいながら、笑顔でいっつも話してた。

とにかく、笑顔で話してた。

そんな毎日だった。

オレは、ずっと笑ってた。

それは作り笑顔でも何でもなくて、楽しくて、嬉しくて、時には涙がでるほどクシャクシャなブッサイクな顔で笑い転げて。

そんな日々は終わった。

その後バンドの解散ライブvol.2(笑)が終わり。

全てが終わった。

オレから全てが無くなった。



それが3月頭。



バンドも終わったし学校も終わったしで、一気に抜け殻になるんじゃねーかと心配していたけど、案外違った。

意外にもオレはそれからは、新しい道への希望、新たに得たものを胸に、前を向いていた。
なんの迷いもなかった。

それからも仕事で苦労はしつつも、全力でいろんな事を楽しめていた。


結局長岡になかなか希望の職がないので、オレは新潟市へと拠点を移した。


それが5月頭の事。


たったの1年しか住んでいなかったけれど、長岡市のアパートを引き払うときは言いようのない寂しさに溢れた。

長岡に帰ってからの苦悩の日々、新たな出会いで幸せを感じた日々、DonBの解散に全力を傾けた日々、なんか、地元に帰ってからの凝縮された全てが、そのアパートにあったから。

それでも、未来へと向かうためにオレは新潟市へと来た。


それから今日に至る。

これがオレの帰郷してからのほぼ全て。


かな。


こう書いてみると、新潟へ帰ってから、すっげー色々あったなぁ。
不安、絶望、暖かさ、愛情、楽しさ、安らぎ、悲しみ、光、影、希望、未来、寂しさ、渇望、あっという間に過ぎていった。


んで今はどうなのかというと、よくわかんねーんだコレが。

思った通りに運んでることもあれば、想像もしなかった未来になってる部分もある。

「毎日楽しいよ」とも言えず、正直何とも言えない毎日を今は過ごしています。

言ってしまえば、大半の人がそんな日常を過ごしているのかもしれないとは思う。
普通に働き、休みを過ごす。


でも、これからどうしたいのか、どうしたらいいのか、未だよくわからねーんだ。

出来る出来ないじゃなくて、どうしたいのかがよくわからねーんだ。

オレの渇望してるものって、いったいなんなんだろうか。

今更言うことかって感じでもあるけど。

今のオレにはコレってものが何もない気がして。

今の未来をオレは望んでたんだろうかってね。


それは誰のせいでもない、自分の中の芯の問題なんだろう。


今どーこーじゃなくて、結局長岡市を離れてから、少しづつ、少しづつ、何かが抜けていったような気もする。

良くも悪くも、長岡のアパートに居たあの1年に全てが凝縮されすぎてたんだな。

あんなに吟味して気に入って決めた今の部屋も、そろそろ住んで9ヶ月くらいになる。
その間もいろいろな事があったのに、何故かこの部屋にはなんの思い入れも何も感じられないんだよね。

設備も文句ないし、住みやすい部屋なのに、全然いいと思えない。

それが何故なのか、さっぱりわかんないけどね。


まぁ、そんなこんなで地元に帰って2年弱、未だに迷いながら、将来への確たる何かを見つけきれずに過ごしていますよ。

なかなか難しいね。人生は。

東京にいたら、こんな事は考えなかったんだろうか、とも思ったりするけれど。

でもきっと、いずれなんらかの壁に当たる時は来たのかもしれない。

もしもなんて考えても、意味はないんだよね。

人生は巻き戻せない。

何があっても、悩んでも止まっても、時は流れていくんだから。


でもみんななんか大変で、悩んで迷ってて。

それは別に独り身に限ったことじゃなくて、結婚してても、子供が居ても、悩んで迷ってる人はいっぱい居て。

これで終わりってのはないのかもしれないね。生きている以上は。


結局、自分の中で何が大事なのかってことなんだろう。

オレの中のもやもやは、仕事ウンヌン住む所ウンヌンではなく、きっとそれがよくわかってないからなのかもな。


大事なものってヤツもさ、永遠なんて何も約束されてなくて、昨日まで当たり前にあったものが次の日にはもう無くなる事もある。

ほんとに、先のことって予想なんかしても無駄なんじゃねーかってくらい、わからんよね。


あれから繰り返す日々の中で、いつの間にかまたすっかり愛想笑いが板についちまったりもしたけれど、それじゃいかんね。

納得のいかない事も「しょうがない」って言えるようになっちまった。


きれいになんて笑わなくていいんだよ。

素のままで、思いっきり笑えばいいんだ。



やっぱ人の帰る場所って、地域とか家とか部屋じゃねーよ。

人が帰る場所は、やっぱ人だ。

都会でも田舎でも豪邸でもワンルームの安アパートでも。

だから未だに、もう住居なんかなくてもオレは東京に行ったら「ただいま」と、帰ってきたなーと思える。

きっと、今の部屋には「居場所」が見いだせないんだろう。

居場所って、物質や空間じゃなくて人の体温なんだよな。


オレは、今までいろいろと急ぎすぎたのかもしれない。

意識していないけど、東京でバンドに身を焦がした日々の影響が未だ強すぎて、何かに向かって何かを進めてなきゃいけないような、変な焦燥感とか、無意識のうちにどこかにあったのかなぁ。

親に「お前はすぐ先に先に行くから話しについていけないよ」って言われた事もあったなぁ。

今は何となくわかる気がする。

地元に帰ってからも、次へ、次へ、って、進めていかないといけないような気がして。

それで相手を置き去りにしてしまうこともあったのだろう。

オレは本当にちゃんと相手を見て、話しを聞いたのか、話しをしたのか。

自分の中のストーリーや展望だけを押し付けてやしないか。

ちゃんと立ち止まって、相手が何を言いたいのか聞いたのか。

今は反省することばかり。

きっと、停滞がいやで先に急ぐことばかりだったんだろう。今までのオレは。


嫁探しなんかも冗談めかして話をしたりはするけども。

オレ自信そういう感じはないつもりでいたハズなのに、どっかで結婚したら子供を作るのが当たり前だと思ってたかもしれないし、そろそろ結婚しないとなーとか思ってたかもしんねえ。

でもそれも、先へ先へって考える前に、まずは一緒に居たい人と一緒にいて、その先は結婚を考えるかもしれないし、しないのかもしれない、子供はいないのかもしれないし、子供ができるのかもしれない。

それでいいんじゃねぇかな。

大切なことは、ゆっくりと時間をかけて二人で決めていけばいいんだ。

今はそう思う。

だって、条件とか見えない未来よりも、一番大事なのは誰と一緒にいるかだ。

二人だって、立派な家族だろう。


仕事もそう。

先が見えないなら、一歩一歩、少しづつでも確実に進んでいけばいいんだ。

どんなに果てしなくても、時間かかっても、確実に進めば先は見えてくる。

すぐに見える結果を求めるからいけねーんだな。


オレは大それた事なんかなくても、有名じゃなくても金持ちじゃなくても、自分と周囲の大事な人を守れる程度でいい。

ささやかでも、穏やかで、笑って、幸せを感じて生きていきたい。


最近はこんなことを考えていて。

今まで走りすぎていたかもしれないから、少し、歩を緩めてゆっくりと回りを見渡してみようと思う。

まあ時にはリーダーシップとなって引っ張って行ける良い面もあるんだけど、一辺倒じゃいかんよな。


時には立ち止まり、ちゃんと相手の顔を見よう。


人生は一期一会。

時には必然に出会い、時には偶然に出会う。

一生のものになる場合もあるし、いつしか消えてしまうものもある。

大事に、大事に。


冒頭では東京から地元に帰って良かったのか悪かったのか未だわからないとは書いたけど、そーじゃねーな。

今後どうなるかはわからねーけど、少なくとも帰ったから出会えた人たちを思うと、良かったんだわ。

あのタイミングで帰らなかったらきっと一生出会わなかった。

紙一重な確率だよな。

心から出会えて良かったと思ってるよ。
ほんとだよ。


今日、笑顔で話してた人と、明日以降また話せるとは限らない。
後でいいや、今はいいやは、それが無くなったときにきっと初めて後悔するんだろう。


大事にしよう。


今を。


大事なものは、後でまた望んでも手に入らないんだろうから。

急がなくても、ゆっくりでも、大事に大切に包んでいこう。

先に急ぐよりも、まだこの手に残っている物を、大事にしよう。


とにかく、笑顔で居て欲しいし笑顔で居たいな。

悩みや葛藤の後、また笑顔こぼれるように。

いい笑顔で笑えますよう。



なんだかわかんねーしクッソながくなったけども、そんな感じっすわ。

どんな感じだよ。

オレはしゃべっちょだけど、意外と話してると言葉を作ってしまうし、本当のところは言えない事が多いけれど。
文章では嘘はあんまつけないから。

本当に素直な気持ちで書いた。

もはや息抜きレベルじゃなくて、このまま寝ずに長岡まで旅立たねばいかんコース。バカなのか(笑)

最後まで読んでくれた方は、ご苦労さまですw

ありがとね。


国分寺の庭のあの朝顔は、また花を咲かせるだろうかな。

まだまだ冬まっさかりだけど。

早く春がこねーかな。

今年はまた、なにか始まるかな。



どんなに悩んでも、停滞しても、わからなくなっても、
いま、周囲に居てくれてる人には、感謝です。いつもだけど。

何かしらを返したいと思うんだけど、なかなか何も返せてない。

オレで良かったら、いつでも何でも言ってくれよ。

力になれるかどうかはわからないけど、何を言われようが、聞くよ。
それがどんな内容でも、オレはぜってーに頭から拒絶したりバカにしたり否定なんかしねえよ。



もしなんらかで怒らせたら、謝るよ。

失敗したら反省するよ。

だから、また笑顔で接してくれたら、嬉しいなぁ。


居てくれてありがとね。






歩いてきた道は
楽しいだけじゃなかったな
だけど思い出し笑えるのなら
今が幸せ とゆう事だろう

毎日少しづつより良い自分になる為
きっと誰もが悩んでいるのだろう
答えのない問いかけに 今も

僕らは優しい人に支えられて
いつの間にやら誰かの分まで
生きなきゃいけない気がするけど
涙も汗も一人分しか流せない
だから自分の思うように
僕が今できることを

僕らは優しい人に支えられて
いつの間にやら誰かの分まで
生きなきゃいけない気がするけど
涙も汗も一人分しか流せない
だから自分の思うように
僕が今できることを

僕が今できることを



僕が今できることを / back number



うん、いい歌詞だな。
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  1. 2014/02/22(土) 09:08:12|
  2. 日記
  3. | トラックバック:0
  4. | コメント:0
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