beat sb hollow

ただひたすらに戯言を

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Memories -2-

〜前回日記の続き〜



オレは幼なじみの働く美容室で散髪をパッツリパツパツとしていた。

場所は原宿。

原宿なんてゴミゴミしてるだけで、メンズノンノからそのまま出て来たようなカッコしたヤツがワッサワッサいる場所に興味はなかったのだけれど、幼なじみがそこで働いているからしょうがなく来ていた。

オレはなんかきったねぇ長髪やモヒカンの野郎が普通に松屋で牛丼すすってるような高円寺とか吉祥寺の方が落ち着いて好きだったのだが。

2004年(平成16年)10月23日 土曜日 17時56分

いつものように髪を切ってもらって、ちょうど終わって髪をパッパと払われながら、その幼なじみと話してる時に、いきなりグラグラグラーっと、すげー建物が揺れたんよね。

「地震かー?」

「すげーでかかったな」

なんて話してたら、後輩の子が走ってこっちに来て「大変ですよ!震源地新潟っすよ!」と。

幼なじみももちろん実家は新潟なワケで、それで知らせてくれたんよね。
急いで携帯を見るも電波がなかなか通じない。

話しによるとどーやら震源地の震度はかなりデカいらしい。

とりあえず店を出て実家に電話してみても、全然繋がらない。
状況が状況なので、携帯の電波も混み合ってるのだろうか。

まぁ言ってもこの時はそんなに心配してなかったけど、さすがに状況確認だけしとこうと、公衆電話を探して家にかけてみた。

・・・・・出ねえ。

呼び出し音はなる。
繋がってるけど出ねーってことは、外に出てるのか?
それとも何かあったのか。

さすがに心配になって何回もかけたけども、でねぇ。

神奈川の姉ちゃんちにとりあえずかけてみたら、姉ちゃんも電話してるんだけど誰も出ねえと。

結局繋がったのは、夜になってからだった。

とりあえず家は大丈夫と。
道路とかがベキベキに割れたりしてるけど、ウチは風呂の壁が少し崩れたくらいで済んだとの事。

道路がベキベキ?

そんな状況想像もつかなかったけど、とりあえず家も家族も大丈夫って事で、安心はした。

翌日テレビを見たら思ったよりもえらい事態になっていた。

自衛隊出動、避難所に家がつぶれた人が殺到。
なんか見たことがある風景がテレビの中で変わった姿で映ってた。

まあでも、オレが行ったところで何ができるワケでもないし、とりあえず仲の良い友達も無事らしいし、様子を見ようと思ってた。

が。

月曜日、会社に行ったら、会う人会う人「大丈夫なの!帰らなくちゃ!」と、血相を変えて詰め寄ってきた。
当の本人が大丈夫大丈夫と笑っているのに。

社長まで出て来て、「何日でも落ち着くまでいいから帰りなさい」と。
オレは「家もなんともないし、みんな無事だし、大丈夫っす」と言ったんだけど。

帰るのがイヤだった理由としては、交通面もあった。

関越道は完全に封鎖で山とかトンネルも危ない。
車での帰省は完全に不可。

あの屈強を誇る上越新幹線も横になって脱線。
上越新幹線って、あの災害レベルの積雪の中でも当たり前のように走れる仕様になってんですよ。
あれが脱線って、相当ですよ。むしろ上越新幹線だから脱線で死傷者ナシで済んだのかもしれないけど。

残る移動手段はただ1つしかなかった。


空路だ。


オレは、10回飛んだら8回は落ちるんじゃねーかってくらい、飛行機を信用してなかった。
空飛んでて何かあったらもう自力での回避不可能じゃねーかと。

要するに、怖かったw

だからイヤだったんだけど、フロアに戻ったら、封筒を渡されて、「これ少ないけどみんなでカンパしたから足しにして!」と。

もはや、帰らないとは言えなかった・・・。


デザイナーの女の子で、同じ新潟出身の子が居た。
当然その子も帰れコールなワケで、結局オレたちは暇をもらって翌日、一緒に新潟に帰る事にした。

空飛ぶのはは怖いけれど、こんなに親身に心配してくれるみんなの気持ちが有り難かったし、無にしたくなかった。

オレは人生初フライトの決意をした。


翌日、その同僚の子、Mさんと羽田空港で待ち合わせをした。
初めて間近で見た飛行機を見て、オレは驚愕した。

思ったよりも全然でっけえ。

こんなでかい鉄のかたまりが空なんぞ飛べるワケねーと、改めて恐怖した。

時間が余っていたので、とりあえず2人で空港でメシを食って待った。
オレは「落ちるかもしれんね」と言ったが、「落ちませんよwww」とバカにされた。
こいつわかってねえ・・・人生がもうすぐ幕を降ろそうとしているのにと、オレは思った。

いよいよ搭乗。

機内はオレの想像と違ってせめーし、座席の前のネットになんかフリーペーパーとか入ってて、高速バスみたいだった。

すぐに飛び立つかと思ったら、延々と滑走路をグールグールと走り回っていて、一向に飛ばない。

「そんなもんですよ」なんて余裕顔で嗜められるが、オレはいつ飛ぶのかと気が気ではない。

なんでこの子はこんな普通の顔でフリーパーパーなんて読みながら優雅にくつろいでんだ。アホなのかと、オレは思った。


ついに時は来た。

一気に滑走路をスピードを上げながら走って行く。

やべー飛ぶ飛ぶ。

ぐあああー

気がついたら空に居た。

「いててててててて」

隣から声が聞こえて気づいたら、思いっきりその子の手を握りしめてたw

大丈夫ですって、もうほら、空ですよと、ポンポン叩かれながらなだめられた。

ちなみにずいぶんオレの方が年上ですけれど。


そっからは「おおー!すげー」と窓を眺めてた。

「ねえねえ!雲の上とかいくのかな!」

「はいはい。行きますよ」

「ねえねえ!機内食とかでんの!でんの!?」

「はいはい。この距離じゃそんなの出ないんじゃないですかねぇ?」

「ねえねえ!見てよ!雲あるぜ雲!そこに」

「はいはい。あーありますねー良かったですねー」

と、オレは一人ではしゃいで、その子に暖かく嗜められてました。


ちなみにずいぶんオレの方が年上ですけれど。


ただ東京から新潟なんて、所詮新幹線で2時間弱で着く距離なわけで。
ずーと空を上ってたと思ったら、今度はずーっと空を降りて行って、あっという間に着きました。

多分一回も機体が横になってねー気がする。

着陸時も気づいたら「いててててててて」と声が横から聞こえてきましたw


こうしてオレの人生初フライトは、数十分で終わりました。


新潟空港に着いたら、外に自衛隊人がワッサワッサ居て、迷彩柄のでけー飛行機とかヘリが空港にいっぱい居ました。
当時の首相、小泉さんも来ていたみたいです。

新幹線で来れば東京→長岡とあっという間に着くのに、飛行機だと新潟空港からバスで新潟駅、電車で長岡と、倍以上の時間がかかりました。

とりあえず帰る日にまた駅で落ち合うって事で、長岡駅からオレたちは別れ、それぞれの家に帰りました。

実家はとりあえず大丈夫で、一安心したのもつかの間、その日の夜に二階で寝てたらいきなりすげー揺れに襲われて、戸とか窓は割れるんじゃねーかってくらいガッタガタミッシミシしてるし、あぶねー!てなって外に出ようとしたんだけど、うまく立てない歩けない。

やっとこさ這って階段を下りたら、家族はもうみんな外にいました。


長男心配すれよ。


近所のおっさんたちもみんな外に居て、しばらくあーだこーだと談笑して帰宅。
もう余震くんなと、びくびくしながら寝ました。

翌日は朝から近所を散歩してみました。
ウチの町内は全然大丈夫なんだけど、試しに幼なじみの美容師の家まで歩いて行ってみたら、道路もバッキバキで川沿いの道路は半分割れて川に落ちてました。
こりゃ車で通るの無理だな。

それからは、友達に連絡して現状を聞いたり、一緒にメシを食いに行ったり。
あんな惨状で道路ベッキベキでもやってるファミレスとかあるからすげーよな。

友達はちなみに母校の中学の体育館に避難して寝泊まりしているといっていました。
避難所生活なのに悲壮感など皆無。
夜はファミレスでごはんとか、なんかのんびりしてて安心もした。

翌日は、オヤジに「鉄工所の棚がブッツぶれてくっしゃくしゃになったからホームセンターで買ってこい」と命じられ、オヤジの車でホームセンターへ。

向う道もガッタガタにひび割れてるし、通れない道もあってやっとこさ辿り着いた。
ホームセンター内は営業はしてるけど、品物スッカスカで、壁に張り紙があった。

「天井に吊るしてあるものが落下してきます。気をつけて下さい」

気をつけて下さいじゃねーよwおろせよwww

と、思いながら棚をゲット。
思い出したけど一緒に帰って来たMさんちこの近くだったなー大丈夫かなーと思い、電話をしてみた。

「全然大丈夫ですよー来ます?」と言われ、とりあえず家に行ってみた。

思ってたよりでけー家だし庭はだだっ広いしって感じで、被害もなさそうだった。
家だけ見て帰るつもりでいたんだけど、家の前で話してたら中からばーちゃんが出て来て、「会社の先輩だよ」と紹介されたら、「なにい!そんなトコいねーで入って入って」と言われ、お邪魔する。

っつーか、会社での先輩はアナタじゃないですかむしろ。

中に入ったらまー色んなものが出る出る。ばーさんクォリティ。

「これ食え」

「あ、ありがとうございます。でもご飯食べてきたんで・・・」

「これも食え」

「あ、いやあのおかまいなく・・・」

「じゃーこれ食え」

「はい・・・あの」

「これ食え」

「はい」

と。

結局茶を飲んで菓子食いながら、ひたすら当日の模様をばーちゃんから聞き、ずいぶん長居しましたねw

「おめ、仏壇なんかバーッとこうなって、まんれまぁオレへーダメらかと思ったこっつぁいのー」
言われながら、うんうんとずっと聞いてきました。

ウチもそうだけどババアに共通なのは、話しだすともう口がとまらねぇ。
わかってる。
うん。


散々ごちそうになり、話し込み、また帰る日にねーと家を後にしました。

ババアありがちの「ほらこれ持ってけや」とタッパ持たされそうになったけど、なんとか辞退してなw


そんなこんなで家でそこそこ片付けやら手伝ったり散歩したり友達の顔を見たりで、「そろそろ帰らないと仕事がね」って事で帰る事にしました。

当初はわざわざ飛行機まで乗って実家に帰らなくてもいいと思っていたけど、あの当時オレは年一回も帰省してなかったし久々に親の顔も見て友達と会ったりで、なんだかんだといい休暇をとらせてもらいました。
帰ってよかったなあと。

あと大丈夫とは言っていても、何かあるとやっぱ長男って頼られるのよね。
いるだけでも心強いんだろう。姉ちゃんも一応女だし。

東京への帰りは、無事に動き始めた新幹線で帰る事ができ、命拾いをしました。


あの時に思ったけど、やっぱ田舎って空気感が違うんよね。
あれが東京だったら、きっともっと殺伐として、人同士のトラブルや事件も起こっただろう。

あんなになって避難所に避難したりしてるってのに、みんな笑って談笑してんのね。
まだ雪も降ってるあの寒い中、避難所の学校のグラウンドでは町内会のとっつぁん達が酒飲んで宴会しながらダベってるからね。危機感ねえわw

なんか、最終的に歳くってから住むのはやっぱ田舎がいーなと思った年でした。

東京に帰ると、会社の人たちは暖かく迎え入れてくれました。
急な事だったからやりかけの仕事もなんもかんも全部押し付けて行ったから大変だったろうに、イヤな顔一つせずに、良かったね良かったねとね。

ほんとありがたかったです。

まぁ、そんな感じでしたね。
ちょうどあの頃の情景が蘇って来たから合わせて書いてみたけど。

時が過ぎるのは早いねー。ほんと。


この日記で話した10年前の職場の人たちも、10年後の今でも数人繋がってます。
ほとんど会っては居ないんだけどね。
なんだかんだで、オレの動向を見ていてくれてるし、オレも気にしてる。

あの頃の楽しかった日々は、薄れないし、一度認めた人は変わりません。
関係も、変わりません。
ずっと、オレは気にしています。元気でやってくれてたらそれでいいけどね。

ほとんど会わなくても、これからもずっといい友人です。

爆弾岩は会ってねーなw
爆弾岩あの野郎。
メガンテメガンテ言いやがってあの野郎。

言ってねーけども。

10年前の出来事。
これからオレはその時のバンドを辞めて三瓶と出会い、Dog on Backseatとして数えきれない人たちと出会って行く事になります。
この時点ではまだそれを知らない。



あれから10年、いろんな人と出会い、いろんな事をして来た。

楽しい事ばかりじゃなかったな。
身を裂くような悲しい事もあったし、堪え難くつらいこともあったけど、オレは全く人前で泣かない。

多分今まで触れ合ってきた人で、オレの泣く姿を見た事がある人ってほぼいないんじゃなかろうか。
ひょっとしたら、ゼロかもしれない。

どんな悲しい場面でも、どんな感動的な場面でも、オレは泣かないし、きっと微笑んでいた。

一切涙が出ないってことじゃないし、人知れず泣く事だってありますよ。
でも、人の前だと、家族でも彼女でも泣き顔は見せたくないのかもしれないね。

心を許してないとかじゃないんだけど、なんでだろね。
泣いた所見た事ないとよく言われるけど、そりゃそうだ。
誰の前でも泣いた事ないんだから。
なんでかはオレもわからないんだよね。

いつか、オレも誰かの前で思いっきり泣いたりする日が来るのだろうか。

なんて思う時もある。


昔から、オレの周りの人間は、すげえ魅力的な部分がありつつ、少しの難やクセがあるヤツが多い。
オレは泣かない人間だけど、反対に周りは素直に泣き、怒り、笑う人間が多いな。
きっとオレ自身が、完全ないい奴よりも、そんな人間くせーヤツが大好きなんだろな。


学校も職場もそうだけど、楽しい時期ってのはあっという間に過ぎて行く。

あっという間に全部が過去になって、今こうして振り返ってるように、懐かしい歴史になって行く。

いつだってその当時は、会うのに理由なんか要らなくて、朝になれば当たり前のように同じ空間に座っていた。
今では会うのに理由が要るし、会うことの意味を考えなければならないこともある。

いつからそんなめんどくせー感じになっちまうんだろな。
別に理由なんて一生懸命作らなくてもいいハズなのにな。

当たり前に顔を合わせて毎日一緒に笑える事がいかに有限で貴重な時間なのかは、その瞬間にはいつも気づいていない。

後になってわかる事ばかり。


あれから俺はどう変わったんだろうか。

あの頃みたいに笑えているのかな。


なにかあった時に手を差し伸べるのは当たり前の事なんだけど。

人と人との信頼関係ってやつは、何かあったときに優しくしてあげるってことじゃなくて、普段の日常の中でどういう風に接して来たかの積み重ねでしかないのです。

別に大きな何かなんてなくても、顔を合わせて話して笑って触れ合っていく時間がどんどん重なって行って、信頼関係や深さになるんです。

過ごした時間が濃いほど、多いほど、やっぱりそれは積み重なって行く。

自分の都合の良い時にだけ思い出したように声をかけたって、やっぱりその人は大事な時には側には居てくれないよ。

積み重ねです。

信頼は、小さな事の積み重ねです。


オレは単純に、自分を幸せな気分にさせてくれる人が、笑っていられたらって思うんです。

大きな事はなにもできないし、何かをしてやれるような力もないけども。

その人が人生をふりかえったとき、少しだけでも登場して思い出す人間でありたいと。
人が自分の人生を振り返る時に出て来れるような存在でいられたら、それは幸せじゃねーかな。

自分が生きてた証っつーかなんつーか。

まーよくわかんねーけども。


とりあえずそのためには与えられるばっかじゃなくて、与えられる人間になんなきゃな。もっと。

カタチにならないけど、確実に降り積もって行く小さいものをね。

日々、日々。


振り返ってみれば、「何か」が始まる時、今がそのスタート地点だと意識できることなんてなかった。

あのとき始まったんだと、後で振り返っていつも思う。


今も気づいてないだけで、何かが始まってるのかも知れないね。


何かの終わりを悲しんでいる裏では、もう新しい何かは始まっている。

その繰り返し。






名を失った背は崩壊を始め、
心に留める事も叶わず水泡に帰す。
消えてしまった名は想いを募らせ、
再生に頼らず描く形がその輪郭を持つ。

緻密さと儚さと、強さの中で息づく生。
今も追い続ける音の名。

宿り木を失い鳥は今生きる道を迫られている。
生き様を晒す夜を越えて呼べば、名は永遠に。

重ねすぎた言葉と語り尽くせぬ想いが、
一瞬を紡いで消えて行った。

芸術の様に宿し哲学の様に語り。
情熱はまさに生を、沈黙はまさに死を。
一幕に込めた。

終幕の時が闇を添えて、温かな悲しみに触れ。
言葉では伝えきれない。
広い空の果てまで・・・(行く事よりも遥かに難しい)
生き様を晒す共鳴の夜を・・・


4.11(Time to think of "Intial H") / Dog on Backseat

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  1. 2014/11/07(金) 11:19:02|
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